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遷り行く
社長です。
編み屋さんで働き出して25年目。
当然、多くの人や会社と出会い、喜怒哀楽を感じ
そして、別れていく。
ここ近年、この別れが多い気がする。
逆に、出会いは、それほど多くも無い。
これは、Toa-Knitから見た世界が小さくなっている証拠。
いや、全体的にそうなんだ。
でも、だからといって、流されていくつもりは無い。
ふたたび、輸出に力を入れていかないと。
喜び勇んで、パリやミラノにトランクセールスをしていたのは
もう、10年前。
10年ひとむかし。
もっかい、やってみよう。
賛否両論あるけど。
最終的な根本の部分は、誰も何も関係ない。
だから、大丈夫です。
消費税
社長です。
10月から消費税が上がりましたね。
軽減税率やら電子マネー還元だとかあるけど、
お得感はゼロです。ただ、支払いが増えるだけ。
法人だと年2回に分けて納付するのが一般的なのかな?
でも、毎回その支払額に愕然とします。
今後消費税を支払うために借り入れを起したりする会社も
増えるのではないでしょうか?
特に繊維業界ではシーズン性が高いので、次の量産の生産に
向けて、原材料などの仕入れが一時的に増えたりする時期と
消費税の支払いの月が重なったりすると、憂鬱になります。
毎年、消費税の支払いの時には、税理士さんに消費税用の
積み立てをしておきたいという趣旨の話をするのですが、
支払ってしまうと、正にノドもと過ぎれば。。。。
で、次の消費税の時に税理士さんに、
「あれっ、社長!積み立ては?」なんてツッコミを入れられて。
ただ、設備とか大掛かりな造作などでお金を使うと
次の消費税は、すごく安くなるんですよね。
先に消費税を納付しているだけなのですが、
「ラッキー!」って思ってしまいます。
その程度なんだろうな。。
おとなしい日本人。
どこかでこっそり、こうした「ラッキー!」で帳消しにしている。
第三の制服
社長です。
Toa-Knitでは、制服は半袖、長袖の2種類だけでした。
昔、男性はライトグレー、女性は水色の制服でした。
しかし、10年程前に、男性は紺、女性はピンクに変えました。
この頃は、制服の色を変えるだけで、イメージが変わりました。
あれから月日が経ち、時代の変遷もあるのでしょうが、
どうしても、制服が「作業着」になっていて、悪くはないけど
イメージだけの話なのですが、「働かされている感」みたいな
上手く言えないけど、別の制服があってもいいよねと思いました。
ということで、第三の制服として、エプロンを採用しました。
あれこれ、買っては実際に着用してみて、仕事してみて。。。
結果的に、黒の長めでポケットが沢山あるタイプにしました。
もちろん、第三の制服なので強制は無く、従来の制服が
いい人は従来の制服でOKということにしました。
すると、女性スタッフは全員。男性は半分ぐらいが
早速、着用しています。
従来の制服に比べ、腕が動かしやすいという点。
黒の長めなので、見た目がシュッと見える点。
収納が多いので何かと便利。などなど。
あと想定外でしたが、全員が見た目5歳ほど若くなりました。
また、冬になると作業着に戻るかもしれませんが、
こうした、イメージチェンジで自分たちの気分も変わるという
いい体験ができました。
ただ、肩や袖の部分は、むき出しなので、現場に入る際は
作業用のTシャツかトレーナーに着替えた方がいいですね。
20 A/W
社長です。
秋めいてきました。
エアコン無しの時間がジワリと増えてきました。
個人的には、秋が一番好きです。
振り返ると、楽しかったことは秋が一番多かったかな。。
さて、20A/Wの企画も抜き差しならない状態になってます。
なかなか、調子が出ず焦る日が続きましたが、
ようやく、パソコン上に編地、柄のファイルが
増えてきました。。
後は、糸使いや加工方法のプラン。
色は、在庫でいいかな。。
と書いてしまうと妥協しているみたいですが
何気に、Toa-Knitの色糸は2500色以上あるんです。
これが、100g単位で全て管理されているので
本当にスゴイと思います。
なので、逆に在庫で十分です。
何とか10月の合同展には間に合いそうだ。
めざせ!新作50点。
飛ばしますよー♪
DNA-デオキシリボ核酸
社長です。
昨日は、オヤジの命日。
もう随分と時間が経ちました。
今、自分は51歳。
オヤジは51の頃、何を考えていたのだろう。
さかのぼってみよう。。。
その頃の俺は18歳。
大学受験で玉砕することも知らず
呑気に青春してた頃。
当時、Toa-Knitでは、賃加工と腹巻なんかがメインで
自社企画の生地などは、まだ手がけていなかった頃。
社員も3-40人いて、編み機が5-60台。
ちょうどその頃、最新のハイゲージのダブルジャカード機を2台
設置して、よく「日本に2台しかない編み機がウチにある」って
話をよく話していたものだった。
あと、縦糸挿入という編み機も8台持っていて、
これも、当時は珍しい編み機で、縦糸と言えばToa-Knit
みたいになっていたらしい。
オヤジは職人ではなかったけど、ピカイチの職人がいたので
難しい編み機を設置しても、使いこなしていたようだった。
なんて遡ると、多分オヤジは、差別化をしたかったのだろう。
単に賃加工や定番品で、ジリ貧になってしまうのを嫌って、
高度を上げたて、あわよくば、航行ルートも変えてしまいたい。
と言う感じかな。
当時、Toa-Knitの内情は、あまり知らなかったけど、
そんなに、まだ悪くは無かったと思う。
でも、打てるうちに、投資をしてくれていたんだなと。
まさか、Toa-Knitに無関心だった息子が入社するとは
思いもしなかっただろうけど。
でも、お蔭様で
今俺は、Toa-Knit愛もすごいし、自社の特色を癖強で
出せていると思います。もちろんスタッフも粒ぞろい。
DNAやな。
遡ったり、少し離れて見てみると、全部繋がっている。