ブログ
2019 / 09 / 20
00:00
DNA-デオキシリボ核酸
社長です。
昨日は、オヤジの命日。
もう随分と時間が経ちました。
今、自分は51歳。
オヤジは51の頃、何を考えていたのだろう。
さかのぼってみよう。。。
その頃の俺は18歳。
大学受験で玉砕することも知らず
呑気に青春してた頃。
当時、Toa-Knitでは、賃加工と腹巻なんかがメインで
自社企画の生地などは、まだ手がけていなかった頃。
社員も3-40人いて、編み機が5-60台。
ちょうどその頃、最新のハイゲージのダブルジャカード機を2台
設置して、よく「日本に2台しかない編み機がウチにある」って
話をよく話していたものだった。
あと、縦糸挿入という編み機も8台持っていて、
これも、当時は珍しい編み機で、縦糸と言えばToa-Knit
みたいになっていたらしい。
オヤジは職人ではなかったけど、ピカイチの職人がいたので
難しい編み機を設置しても、使いこなしていたようだった。
なんて遡ると、多分オヤジは、差別化をしたかったのだろう。
単に賃加工や定番品で、ジリ貧になってしまうのを嫌って、
高度を上げたて、あわよくば、航行ルートも変えてしまいたい。
と言う感じかな。
当時、Toa-Knitの内情は、あまり知らなかったけど、
そんなに、まだ悪くは無かったと思う。
でも、打てるうちに、投資をしてくれていたんだなと。
まさか、Toa-Knitに無関心だった息子が入社するとは
思いもしなかっただろうけど。
でも、お蔭様で
今俺は、Toa-Knit愛もすごいし、自社の特色を癖強で
出せていると思います。もちろんスタッフも粒ぞろい。
DNAやな。
遡ったり、少し離れて見てみると、全部繋がっている。